天上の海・掌中の星

    “闇夜に嗤(わら)う 漆黒の。” B
 




          




 例えるなら…浅い水たまりに淡く滲んだ油膜のような。その輪郭も形状自体も曖昧な“何か”が、漆黒の夜陰の中、のったりゆっくりと移動中。存在感さえ希薄で、特に邪悪な意志だの気配だのもなく、周囲へ余計な害を成しそうな要素は見受けられない代物なのだが、この大きさでしかも不安定な精気の塊りだというところが懸念され。そこでとその処遇を検討した結果、亜空間を設けてそこへと追いやることとなり。何と言っても陽界と陰界という相反する次界同士の干渉が関わることだからと、作業展開は慎重に念入りに構築され。様々な要素条件の兼ね合いからそこにしか設けられなかった“亜空”へのゲートまで“鬼さんこちら、手の鳴る方へ”と誘導するのが今夜のお仕事であり。くどいようだが…さほど急を要するような、はたまた力でねじ伏せるような部分のあるような、ド派手にしてスリリング、多少の被害が出るのも此の際は致し方なしというような難儀な大事件…というものでは決してなく。まだ単独任務はこなせないランクの聖封たちが一丸となって取り掛かり、囲い込みの結界を張っての共同作業であたっても、能力的にも時間的にも十分間に合うような、言ってみりゃ“穏便な”代物に過ぎなくて。そういう“穏便な”任務の最終場面へと、何でまたわざわざ“有無をも言わさず畳み掛けるの専門”の
(こらこら) 最上級エキスパートであるゾロとサンジの二人が呼ばれたのかと言えば…ただただ“万が一の事態”に備えて見守るため。
「確かにこりゃデカいよなぁ。」
 何でまたこうまでの大きさになるほど、1つところへ陰の気配が集まったのか。ただ何となく、同じ気色だからと集まっているだけな今は、結合が緩いから何事もなく済んでいるけれど、
「何かしらの弾みで結束が固まったり、密度を増して収束したなら。」
「ああ。」
 拡散している今は確かにさしたる害もないけれど、総量を単純に測ったならば、大型邪妖の1頭分に匹敵しようもの精気だから。収束して存在濃度を濃くすれば、ブラックホール化して磁場嵐だって引き起こせるし、間近に入り口を開けた亜空との次世界融合を起こして、
「ここに何かを呼び出しも出来ようからな。」
 今見えてるあやつは実体がないけれど、事が最悪へ進めばそういうことも起こり得ると、嫌な例えばかりを並べた“暇人”二人であり、
「そんな怖いお話で脅さないでくださいよう。」
 今宵の仕儀の責任者であるらしいビビさんが、無責任にも勝手な物言いをする男衆たちへ、判りやすくも“もうっ”と頬を膨らませて怒って見せる。彼らには容易いレベルの穏便な作業でも、実際に取り掛かってる者らにすれば真剣必死な任務。馬鹿にされたような気がしたか、彼らに代わってムッとしたらしき姫様であり、
「退屈なのはお嫌いですか?」
「まさか〜♪」
 レディを怒らせたことこそが至らぬことと感じてのそれだろう、滅相もないないと愛想を振り撒く金髪痩躯の相棒さんへコトの収拾を任せ切り、話の輪から外れることを兼ねてのこと、そっぽを向くように注意を逸らしたそのまま、ゾロは頭上に広がる夜空を仰いだ。サンジはともかく自分の方は、そんな手合いでも瞬殺出来る、その豪腕をこそ見込まれての、力技での対処が当たり前。今時の言い方で“デフォルト”になってる存在だからね。何かあったらしいが何が起こしたことだかが判らない。そんな格好にて…あちこちで“世にも奇妙な物語”を増やして回ってる自分たちと違い、自然のバランスや有り様を崩さぬままに、穏便に穏便にと対処し片付ける彼らの丁寧な関わり方のほうへこそ、大したもんだと感動してしまう。根気がない訳ではないのだけれど、
“あんなもん…剣撃にて叩いて一気に亜空へ押し込んで、爆風ごとおサラバと片付けちまやいいんじゃねぇのかね?”
 な〜んて、やっぱり物騒なことを思う彼だから。単独任務に向いてる資質というのは、やはりそう簡単には変えられないということか。ここから少し先にある、少しくたびれた小高い丘の半ばほど。人の肉眼では見えないが、古い祠があった跡地がぼんやりと光っており、そこへ…10人以上の聖封たちが周辺を囲みながら咒を唱える格好で、すぐお隣りの次空に拓きし“亜空”への大門が開けられている真っ最中。こっちの精気の塊りの速度から言って、今夜中…まま、未明のうちにも送り出せるかなというペースであり、
“根気を養う修行だと思うかな。”
 自分が立ち回れない事態ってのは、気持ちへのプレッシャーが堪らないから。こういうことへも駆り出されるようになった身を、喜ぶべきか…やっぱ鬱陶しいよなと、正直なところというもの、胸の裡
うちにてこっそりと転がしていたゾロだったのだけれども。

  “………んん?”

 凍るような寒気ばかりが垂れ込める、真冬の夜陰。冷たい感触のする夜気と、氷の針を含んで時折吹きつける冴えた風とが交錯するだけの、静かな静かなそんな晩の底…に向かって。

  ――― 何かが…猛烈な勢いで近づいて来る?

「…おい。」
 何かしら感じ取った破邪殿が、注意を喚起しようと肩越しに振り返ったその先では。さすが、その筋の専門家たち、
「これは…?」
「………。」
 サンジもビビも、その表情を堅くし、視線を固定してその“気配”をそれぞれに探知する姿勢に入っている。どこか遠くから聞こえて来た気配。思い過ごしの気のせいかもと振り払いかねないような、それはそれは微かな、耳鳴りのような金属音。それを指してのものだろう、サンジがぽつりと呟いたのが、
「同じ次界の存在ではないようだが…。」
「…そうなのか?」
 随分と言葉を省略していた彼であったが、それへの慣れのある破邪殿には意味合いも通じ、通じたからこそ…ゾロもまた怪訝そうに眉を寄せてしまっている。同じ次界の存在ではないということは、取りも直さず…彼らが今その身を置いている“陽界”空間に同居してはない存在の気配だということだが、
“障壁の向こうのものが、こんなに強く感じ取れるなんてのは…。”
 多少はその能力ゲインが上がったゾロではあるけれど。それでも、感知の能力は、全く役立たずだったのが“まま優秀”になった程度。次元を分ける壁の向こうの気配まで察知出来るほども上がった覚えはなく。ということは、
“そうまで強い存在感を振り撒いてやがる“何物か”だってことかよ。”
 しかも、

  「こっちへ来るぞっ!」

 だからこその警戒警報が放たれて、皆の感応器を叩いたということか。正体不明にして、かなりのエネルギーをはらんだ存在の急接近というだけで、こちらの陣営には十分すぎる一大事。
「結界を張りますっ!」
 何しろ、彼らが扱っているのは、途轍もなく不安定なもの。不確定要素が関わることが一番の危険であり、それを恐れての用心棒を招いたほどなのだからと、ビビが素早く行動に走りかかったものの、

  「間に合わんっ!」

 彼女が仕掛けようとしたのは、せめて対象を全部覆う障壁を立ち上げるもの。印を切り始めた彼女の所作でそれと素早く察したサンジが、もっと素早く手元にて印を切り、

  ――― 吽っ!

 何かを遠くへ勢いよく投げつける仕草よろしく、ぶんっと斜めに腕を振り上げれば。夜気をも切り裂く疾風が、宙を駆け上がる流れ星よろしく、凄まじい勢いにて放たれる。何をどう感知した彼なのか、あいにくと彼ほどまで微細な嗅ぎ分けまでは出来ないゾロが、
“あんなアバウトでいいのか?”
 と。怪訝そうに目許を眇めて見上げた先には、何もなさげな夜空の宙空。彼らが見守っていた巨大なアメーバのような蜃気楼もどきの“精気”の上空、疾風のように駆け上がったその気弾が、そのまま何にもない夜空高くへすっぽ抜けるかと思われた矢先、

  ――― ぴし…………っっ、と。

 硬いものへ深々と、亀裂が走って長いひびが入ったような。そんな炸裂音が鋭く立って、辺りの空気を震わせた。そろそろその囲い込みの障壁陣が待つ地点へ辿り着かんとしていた矢先。あまりの巨体ゆえ、全体をくるみ込む結界を張るには、準備も集中も間に合わないと素早く見切り、恐らくは隣りの次界からここへ、飛び出す何かがあるだろと。ピンポイントで嗅ぎ当ててしまった、聖封様の探知感覚の鋭いことよ。そして…、

  「あれって…。」

 彼らが揃って待機していた丘の上。そのまた上の、遥かに上空の宙空高く。盾のように小さく現れた結界障壁へと、どこかから飛び出して来た“何か”がジャストミートしたればこその、ここいらの空気を砕いたほどもの不吉な炸裂音が響いたのだけれど。

  《 ………痛った〜〜〜いぃ〜〜〜。》

 もしかして。自分らと同じ思考言野を持つ存在だろか。しかも何だか、妙に即物的なお言葉が聞こえたような気が…。
「…何だ、あれは?」
「さあ。」
 どう考えても。いきなり出現した障壁にぶつかったことへ、思わぬ所にあったドアにでもぶつかってしまった、年端も行かない子供が、痛さのあまりにのたうちまわっているような。そんな悶絶の模様が届くのだけれど。

  《 痛〜た〜いぃ〜〜〜。》

 ………そう。妙に幼い雰囲気がするのが、何だか意外で。ひとしきり“痛い痛い”と騒いで、宙空というややこしい高みで転げ回ったらしきその誰かは、
《 何だよ、誰だよ。名もなき者を庇う気か?》
 今度は自分の足元に当たるこちらを見下ろすと、こっちの居場所をよくよく見定めたらしく、

  《 邪魔だてすると、例え天聖界の存在だって容赦はしないのだからね。》

 その高みへと灯った光。一丁前な言い回しをしたその誰かが灯した明かりであるらしく、それが照らしてやっとのこと、こちらからも捕らえることが出来た相手の姿は、

  「…子供だな。」
  「ああ、ガキだな。」

 つばのない帽子にサスペンダー付きの半ズボン。何かの革らしい靴は、童話に出て来る妖精のそれのように爪先が尖っていて、踵のところにトンボのような透き通った翅
はねが一対ずつ付いている。何とも珍妙な装束だったし、宙に浮いてるところからして、それだけでもう十分に、尋常な人間の子供とは思えなくて。
「こんな夜中に何ふらふらと出歩いとるかっ!」
「とっとと家へ帰んな、小僧っ!」
 ………いや、だから。尋常な子供じゃないと、言うとろうがよ、お二人さん。怒鳴りつけたこちらへ向けて、向こうも向こうで何か反駁したくてか。やっぱり不思議なことには…ふんわりとした速度にて、こちらの居るところまでその身を降ろして来た相手であり、

  《 やはりそうか。お前ら、天聖界の破邪たちだの。》

 小柄な肢体はどう見ても子供の頭身。そんな身で…同じ地面に並び立つと身長差が出来るのが一応は癪なのか。少しばかりの高さを保ったままの中空にて立ち止まり、

  《 近年、黒鳳凰を仕留めたというが、だからと言って驕
おごるでないわ。》

 不機嫌そうにお顔を顰めて、ふんと鼻を鳴らさんばかり、滔々と言いたいことを並べる彼だが。
“…え?”
 ハッとしたのはビビであり。
“どうしてこの子…。”
 あの大邪妖、伝説の黒鳳凰を倒した事件を、何でこんな小さい子供が知っている? 天聖界の住人の寿命は地上人のそれとは少々異なるが、それでも…こんな小さな子供には、あの大騒動の仔細だなんて伝わってはいない筈で。
“いいえいいえ、それよりも。”
 こんな子供がどうやって。たった独りで陽世界にやって来れているのだろうか。何かがおかしい、何かが変だと、違和感を覚えて混乱しかかる。地上に通じる天聖大門を通過出来るまでになるのは、これでなかなか大変なこと。それなりの鍛練を積み、上の役職の方からの許可認証を受けてからでなければ、陽世界へはやって来れない。少なくともこんな…地上人でいう小学生ほどの年齢の子供には、不可能なことだのに。

  “…この子、一体…?”

 不審げな視線を向けるビビには気づかないのか、いかにも不愉快だという表情でいた少年は、自分がぶつかりかけていた精気の塊りを背後に振り仰ぎ、だが、

  《 ありゃりゃ? こいつは“名もなきもの”じゃあないじゃんか。》

 呆気に取られたような声を出すから、

  「「そんなこと、知るかっ!!!」」

 その怒号がお見事にハモった二人のエキスパート様たちだったが、そんなお声にかぶさって、



   ―――
うおぉおおぉぉ〜〜〜〜んんんんっっ



 遠くて高い夜空にて、響き渡るは…何かしらの逼迫自体を告げるような、物悲しいばかりのサイレンのような声が長々と一声。………これは、もしかして、もしかしたらば。

  「…もしかして。あの“山の神”に魂が宿ったとか?」
  「ブラックホールの方かもな。」

 確かめるのが恐ろしいがと、お揃いのしかめっ面になったお兄さんたちであり、穏便なそれだったはずのお務めが、たった今から“エマージェンシー”クラスの事態へと様変わり。
「あんのクソガキが〜〜〜〜っっ!」
 それまでは何の破綻もなかったというのに。こうまでの存在が跳ね上がるだけの、大きな刺激になった何かがあったせいでの不気味な変化。単なる気配だったものが、今や急激な“変化”をしており、何へと落ち着くのかは全くの未定。唐突に、しかもこんな間近に異次元から突っ込んで来たという、その歪みが働いてのことに違いなく。余計なことをしてくれやがってと、お怒りの聖封様の傍らで。こちらさんも眉間へ深いしわを刻みつつ、
「とりあえず、蒸散さすぞ。」
 そっちへ構うのは後だと言いたげな一言を言い置き、手元に招きし精霊刀の鞘を握り締め。ぐぐっと力を込めし、拳と拳。鯉口を境に左右へと開くようにして、ゾロが一気に引き抜いたるは氷の刃。一暴れすることとなってしまった緊急事態を前にして、穏便に済まなかったのは果たして誰の日頃の行いのせいなのか。後できっちり正してやるからなと思ったのを最後にし、切り替えも素早く、不気味な収束を始めた巨大な精気と向かい合う、エキスパートさんたちだったりしたのであった。









←BACKTOPNEXT→***


  *そういえば、ビビちゃんのお誕生日過ぎちゃいましたね。
   遅ればせながらおめでとうございますvv
   ロビンさんは2月5日なんですか?
   “ロビン”だから6月1日という説も聞いたことがあったのですが…。